連載『村上春樹のまっとうな食事』その2
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もう一つ、『ノルウェイの森』とほとんど同時期の作品『ダンス・ダンス・ダンス』をみてみたい。この長編は、初期の鼠三部作の続編であるにもかかわらず、『ノルウェイ』と同じくリアリズム小説として成立している。したがって、食べ物の描写にもテーマ性が明らかに感じとれる。特に、「ジャンクフードとまともな食事の対比」という視点は、その後の村上作品における人間の善悪の問題と深く関わっていくことになる。
語り手の僕は、霊媒少女のユキと知り合い、不思議な運命をたどるのだが、彼女が食べているジャンクフードを、痛烈に批判するのである。
《「ちゃんと御飯は食べてる?」と僕は聞いてみた。「食べてるわよ。何だと思ってるのよ?食べなきゃ死んじゃうでしょ?」「ちゃんと(・・・・)した(・・)もの(・・)を食べてるかって訊いてるんだよ」ユキは咳払いした。「ケンタッキー・フライド・チキンやらマクドナルドやらデイリー・クイーンやらそういうの。あとはホカホカ弁当……」ジャンク・フード。「五時に迎えにいくよ」と僕は言った。「何かまともなものを食べに行こう。それは食生活としてはあまりにもあまりにもひどすぎる」》
《僕はまず彼女をまともな店に連れていって、ホール・ホイートのパンで作ったロースト・ビーフ・サンドイッチと、野菜のサラダを食べさせ、まっとうで新鮮なミルクを飲ませた。僕も同じものを食べ、コーヒーを飲んだ。美味いサンドイッチだった。ソースがさっぱりとして、肉が柔らかく、本物のホースラディッシュ・マスタードを使っている。味に勢いがある。こういうのを食事というのだ。》(ダンス・ダンス・ダンス)
ここに出てくる「まともな」「まっとうな」食事という考え方は、たとえば人間の善悪のうち、明らかに善の面を象徴するような使われ方をしているのである。
(続く)
もう一つ、『ノルウェイの森』とほとんど同時期の作品『ダンス・ダンス・ダンス』をみてみたい。この長編は、初期の鼠三部作の続編であるにもかかわらず、『ノルウェイ』と同じくリアリズム小説として成立している。したがって、食べ物の描写にもテーマ性が明らかに感じとれる。特に、「ジャンクフードとまともな食事の対比」という視点は、その後の村上作品における人間の善悪の問題と深く関わっていくことになる。
語り手の僕は、霊媒少女のユキと知り合い、不思議な運命をたどるのだが、彼女が食べているジャンクフードを、痛烈に批判するのである。
《「ちゃんと御飯は食べてる?」と僕は聞いてみた。「食べてるわよ。何だと思ってるのよ?食べなきゃ死んじゃうでしょ?」「ちゃんと(・・・・)した(・・)もの(・・)を食べてるかって訊いてるんだよ」ユキは咳払いした。「ケンタッキー・フライド・チキンやらマクドナルドやらデイリー・クイーンやらそういうの。あとはホカホカ弁当……」ジャンク・フード。「五時に迎えにいくよ」と僕は言った。「何かまともなものを食べに行こう。それは食生活としてはあまりにもあまりにもひどすぎる」》
《僕はまず彼女をまともな店に連れていって、ホール・ホイートのパンで作ったロースト・ビーフ・サンドイッチと、野菜のサラダを食べさせ、まっとうで新鮮なミルクを飲ませた。僕も同じものを食べ、コーヒーを飲んだ。美味いサンドイッチだった。ソースがさっぱりとして、肉が柔らかく、本物のホースラディッシュ・マスタードを使っている。味に勢いがある。こういうのを食事というのだ。》(ダンス・ダンス・ダンス)
ここに出てくる「まともな」「まっとうな」食事という考え方は、たとえば人間の善悪のうち、明らかに善の面を象徴するような使われ方をしているのである。
(続く)
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